インドでの売れ筋は? 【読書】クーリエジャポン 7月号
採点:★★★★☆(本号でなく、雑誌自体の評価)
日本のメディアからでは得られない情報が日本語で得られるので、万人におススメ。
新装刊一発目のクーリエジャポン。最近まで読んでなかったが、中々興味深い記事が多いので、定期購読することにした。この雑誌は世界中の雑誌から記事を集めて日本独自編集した、「雑誌の雑誌」、もしくは「メタ雑誌」である。英語で似たような雑誌はないか調べたが、どうやらあまり無さそう・・・。もともとはフランスの雑誌らしいのでフランス語ができる人はそちらでもいいかも。
ツイッターでは、「(クーリエは)脱ガラパゴスを謳っているが。英語が読めないガラパゴス人間のための雑誌だ」などというつぶやきも見かけたが、当然英語以外の雑誌からの記事もある。さらに、英語圏以外のメディアがどのような記事を書いているのかについて知ることは、このような雑誌がなければなかなか困難なのではないだろうか?
表題は、男性の人口比が著しく高くなった(1000:861)インドのある州での話。そう、今インドではこつこつと貯金したお金で「妻」を買っているのだ。
そもそもなぜそんなに男性比が高くなってしまったかというと、男系を重視するインドの人々が出産前性別判断を利用して中絶を多用しているから。同じような現象が1人っ子政策を採っている中国でも見られるらしい。エコノミストでも少し前に、「性別による大量虐殺(gendercide)」という特集を組んでいた。
最近弊社にインドと日本のハーフの方(育ちは日本)が入社されて、インドの話を聞くことが多いのだが、家系の存続に対する考え方は現代の日本人とは多くきく異なっているように感じた。彼は代々300年続く長男の家系のため、何が何でも男子を産まなければならないらしい。彼の友人の中には、5人の娘の後に念願の男子を授かった人もいるらしい。
次男坊で、年に一度実家に帰るか帰らないかという自分には全く理解できない話である。池田信夫氏の言うように(池田信夫ブログ)、我々の世代、その中でも特に地方から東京に出てきているような人間は、コミュニティに対する愛着が薄いと思う。ただし、ここでいうコミュニティとは自分の故郷や家族という、生まれたときに与えられていたもの、自分の合理的な選択に依らないものである。自らが積極的に選んだ(と思っている)コミュニティに対しては、我々の世代も比較的愛着が高いような気がする。ミクシィやFaceBookのようなSNSはその代表だし、自己啓発のセミナーや勉強会は隆盛を極めている。社内にはこの週末に早慶戦を見に行った人もいるようだ。
責任よりも権利を主張することを教えられて育った我々は、「ただそこにある」コミュニティを受け入れることが苦手なのかもしれない。そして、自らが「自分の意思」で選んだ、と思っている、コミュニティには必要以上に執着してしまうのかもしれない。
日本のメディアからでは得られない情報が日本語で得られるので、万人におススメ。
新装刊一発目のクーリエジャポン。最近まで読んでなかったが、中々興味深い記事が多いので、定期購読することにした。この雑誌は世界中の雑誌から記事を集めて日本独自編集した、「雑誌の雑誌」、もしくは「メタ雑誌」である。英語で似たような雑誌はないか調べたが、どうやらあまり無さそう・・・。もともとはフランスの雑誌らしいのでフランス語ができる人はそちらでもいいかも。
![]() | COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2010年 07月号 [雑誌] (2010/05/25) 不明 商品詳細を見る |
ツイッターでは、「(クーリエは)脱ガラパゴスを謳っているが。英語が読めないガラパゴス人間のための雑誌だ」などというつぶやきも見かけたが、当然英語以外の雑誌からの記事もある。さらに、英語圏以外のメディアがどのような記事を書いているのかについて知ることは、このような雑誌がなければなかなか困難なのではないだろうか?
表題は、男性の人口比が著しく高くなった(1000:861)インドのある州での話。そう、今インドではこつこつと貯金したお金で「妻」を買っているのだ。
そもそもなぜそんなに男性比が高くなってしまったかというと、男系を重視するインドの人々が出産前性別判断を利用して中絶を多用しているから。同じような現象が1人っ子政策を採っている中国でも見られるらしい。エコノミストでも少し前に、「性別による大量虐殺(gendercide)」という特集を組んでいた。
最近弊社にインドと日本のハーフの方(育ちは日本)が入社されて、インドの話を聞くことが多いのだが、家系の存続に対する考え方は現代の日本人とは多くきく異なっているように感じた。彼は代々300年続く長男の家系のため、何が何でも男子を産まなければならないらしい。彼の友人の中には、5人の娘の後に念願の男子を授かった人もいるらしい。
次男坊で、年に一度実家に帰るか帰らないかという自分には全く理解できない話である。池田信夫氏の言うように(池田信夫ブログ)、我々の世代、その中でも特に地方から東京に出てきているような人間は、コミュニティに対する愛着が薄いと思う。ただし、ここでいうコミュニティとは自分の故郷や家族という、生まれたときに与えられていたもの、自分の合理的な選択に依らないものである。自らが積極的に選んだ(と思っている)コミュニティに対しては、我々の世代も比較的愛着が高いような気がする。ミクシィやFaceBookのようなSNSはその代表だし、自己啓発のセミナーや勉強会は隆盛を極めている。社内にはこの週末に早慶戦を見に行った人もいるようだ。
責任よりも権利を主張することを教えられて育った我々は、「ただそこにある」コミュニティを受け入れることが苦手なのかもしれない。そして、自らが「自分の意思」で選んだ、と思っている、コミュニティには必要以上に執着してしまうのかもしれない。
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